スポンサーサイト


上記の広告は30日以上更新(記事投稿)のないブログに表示されています。  

Posted by スポンサーサイト at

百恵ちゃんの話

2016年07月03日

 百恵ちゃんには何度も会いました。当時応援団がブームで、テレビ、マスコミに
引っ張りだこでした。

 そんな訳で、たびたび呼ばれるイベントの時になぜか、百恵ちゃんがいました。
当時、百恵ちゃんが主役の「赤いシリーズ」の中の「赤い激流」というテレビドラマ
に出演依頼があり、多摩川の土手で収録しました。残念ながら出たのは後輩だけ
でした。団長役は俳優がやるとのことで、私は土手の下で、何となく見ていたのですが
つい、「あの演技、不自然だなあ。」とつぶやいてしまいました。そしたら、横にいたおじさんが
「どうすればいい」と言うので「こうすればいいと思う」と言ったらそうしてくれました。
監督さんだったようです。

 その時の百恵ちゃんの役は足を痛めたスポーツ選手が車椅子に乗っている設定だった
のですが、休憩時間になると、三浦友一氏がその車椅子を押している姿を見て、ずいぶん
仲がいいなと思っていました。

 4度目に会ったときに、百恵ちゃんの横に、片平なぎさちゃんがいました。何故かその後
なぎさちゃんのファンになりました。

 最近テレビで、百恵ちゃんの息子を見るようになり、時の流れを感じました。
  


Posted by エルローザ at 16:31Comments(0)

夕べのテレビで元気になりました。

2016年07月01日

 夕べ、テレビを見ていたら、昭和の歌謡曲の特集をやっていました。
最近、スマホのコマーシャルでバブル全盛時代のダンスも出てきて嬉しいです。
昨晩のテレビはそれより前の時代(学生時代)を思い出させてくれました。

 特に、ビビッと来たのは、花の中三トリオです。昌子ちゃんと、百恵ちゃんと
淳子ちゃんの3人娘です。昌子ちゃんにはあまり思い出は無かったのですが
百恵ちゃんと淳子ちゃんには直接会った為か、若干の思い出があります。

 まずは淳子ちゃん。今は無くなってしまった、渋谷公会堂。当時大学の交流
が盛んで、「音楽の夕べ」というのがあり、応援団も会場準備にかり出され、
かなり早い時間に会場入りし色々準備していました。

 何故か私は、ステージに上がり、何かの準備をしていたのですが、ふと、サイドの
幕の中を見ると、女の子がうずくまっています。「どうしたの」と声を掛けると、サッとその
子が顔を上げました。パッと見た瞬間、目だけが、異常にキラキラ子だなあ。・・・
と思いました。それが淳子ちゃんと初めて会った瞬間でした。

 そのあと、順調に会は進みましたが、淳子ちゃんが「私の青い鳥」を歌っている時に、
先輩が「おまえチョット、舞台に上がってあの子の横で一緒に歌ってこい」と言われました。
当時は先輩の言葉に逆らえない時代だったので、舞台に駆け上がり一緒に「ようこそ
ここえ、クック、クック」と歌いました。

 応援団の後輩は度胸付けに色々な事をさせられましたが、この時だけは喜んで
出て行きました。 百恵ちゃんには何度も会いましたが、それは、また後日の話にします。  


Posted by エルローザ at 20:11Comments(0)

すかさず消毒

2016年06月21日

 今日は、消毒をしました。朝はひどい雨でしたが、午後から天気が回復。
すかさず消毒をしました。実は昨日も消毒をしました。温室の中ですが。

 ようやく梅雨らしい天気になり、週間予報でも雨が続く日が並びます。
この時期が腕の見せ所。雨の間をぬって消毒です。もちろん黒斑病の防除です。

 少しでも葉を残す事により、秋のバラを良くする事が出来ます。
葉の裏表からたっぷり薬を掛け、黒斑病菌と戦います。

 目障りな茶色・黄色の葉は、取り去り、樹全体が緑っぽく見えるように心がけ
ます。最近、早くに切った芽が伸びてきて若干ですが、花が増えた様な気がします。

 残念ながら、蕾や花がスリップスの為に汚れていて、鑑賞価値は低く、花の
形も崩れている様です。むしりたい衝動を抑えて2度目の満開を待ちます。  


Posted by エルローザ at 18:14Comments(0)

ご当地ジェラードショップ開店

2016年06月17日

 バラ園の入口にジェラードショップがオープンしました。
名前は「リヴィエールマラン」、ご当地ジェラードとナチュラルグッズの
お店です。

玄関のスペースを貸しただけです。最近、方針を「自力貫徹」から
「他力本願」に変えて、お客様に喜んで頂ける空間をめざして、新しい
業種の方々に集まってもらっています。

 自然素材を使ったジェラードは、とっても美味しいです。
将来的には、清水町の産物を使ったジェラードも開発して頂ければ
有難いと考えています。

 バラ園の施設を利用したアナログなイベントを計画してくれれば、
楽しいと思います。  


Posted by エルローザ at 14:28Comments(0)

チョッとブレイク(昔の思い出)

2016年06月16日

 昭和51年、私が大学3年の正月のこと、箱根駅伝の芦ノ湖のゴール付近。
いつもなら、いるはずのテレビ中継のカメラがいません。例年なら、大根踊り
を撮る為に、何局かのテレビカメラいるはずなのに何故かいません。

 先輩から偵察して来いと言われて、出掛けると、中央大学応援団の前に
テレビカメラがずらりと並んでいます。覗いて見ると、なんとそこには「バトン
ガール」が一人。足を上げるたびの歓声が沸きます。

 私は気付きました。これからの時代は、本物の「大根」より別の「ダイコン」
かもしれないと。

 そんな訳で、次の年団長になった時、最初の仕事は「バトンガール」作りでした。
当時の清水市出身の副団長は「いい男」だったので、彼は女の子を集める係り。
私はお金を集める係りです。お金は何とか集まりましたが、当時の農大は、男の
巣の様な大学で、女子はめったに居ませんでした。それでも何とか5人ほど集めて
ささやかにスタートしました。

 今では、農大も女子大の様になり女の子がいっぱいです。バトンガールは「チア・
リーダー」となりチームの名前は「ラディシュ」結局ダイコンです。大型バス1台分
位の団員がいて、各大学、チア・リーダーの競演です。

 女性の応援団長も登場し、時代の流れを感じます。現在、人数は多くない様ですが
男子も頑張っているようです。伝統を継承してくれている事に感謝します。  


Posted by エルローザ at 22:50Comments(0)